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命のつながりとは |
辞書によると、『つなぐ』とは、「なんとか長く、切れないようにたもたせる。たえないようにする。」こととあります。
それを命のつながりに置いて考えてみると、どのような形での、「命のつながり」があるのか?大まかに考えてつながりには二つの軸が考えられると思います。
まず一つは縦軸での命のつながりがあります。
縦軸のつながりとは、親から子へ、子が親になり、そして子へという時間的、生命的といってもいいつながりのことです。
私たちは両親なくしては存在し得ません。そのまた両親も、そしてその両親も、その過程にある無数の人たちの一人が欠けていても私たちの存在はありません。
その縦軸のつながりをひも解いてみると、その中にあるのは、生命の誕生から死への理解、人間の誕生の喜び、生きることの尊さ、自殺をする人の多さ、
命の尊さの希薄さ、生きていることの喜び、限りある命、戻らない命、支え合う命、自殺の問題、高齢者の孤独死の問題など社会問題にいたるまで多々見受けられます。
私達は自分の命を次の世代につなげなければならないという本能を持っているのです。それは遺伝的なものも含め、自分の経験や見聞をもすべてを包括し、
何かを残したいという本能です。その反面、それを自ら断ちきってしまうことの重大さ、偉大な先人たちの言葉を聞き逃しがちな面が課題といえます。
次いでもう一つは横軸での命のつながりです。
横のつながりとは、人間が生きていくうえでは周りにあるいろいろな生命とつながっており、
自分たちの置かれた環境こそがさまざまなつながりによって成り立っているということです。人が生きていくには、
動植物なしには無理なことです。土から植物が生まれ、植物は動物の糧となり、動物はやがて土にかえります。
その崩し様のない絶対的な連鎖はまさに我々の世界を築いていく重要なつながりです。その他にも人と人のつながりも考えられます。
人は一人では生きていけませんし、お互いに支え合うことで生きています。横軸のつながりとは社会的、生物的、環境的なつながりとも言えるでしょう。
横軸のつながりには、仏教でいうところの因縁生起(縁起)という考え方も含まれていると思われます。仏教の縁起の生命観は、時間と空間を超えて、
あらゆるものが相互に関係し、つながり支えあっていることに気づき、互いに慈しみと思いやりをもって感謝して生きることを説いております。
しかし、それは、生命が他の生命を奪い、傷つけあっている苦しみの現実をも内包しています。仏教では、人間がそれらありのままを自覚することによって、
自己中心的な傲慢さを反省し、他の存在に支えられていることに深く感謝し、自他の幸福を求め、あらゆるものへのわけへだてない慈愛を育んでいくように願われています。
縁起とは、一つ一つの存在が、あらゆる存在の生命を維持している相互関係の壮大なネットワークの中に生存していることを意味しているのです。
その縁起の特質とは
(1)あらゆるものの無常を自覚し、自己中心的な無明・愛執を省みる
(2)あらゆるいのちの共生を願い、あらゆるものとのつながりや一体感を養う
(3)かけがえのないいのちを護り育む
(4)あらゆるいのちへの非暴力と慈悲と感謝の心を育てる
という自分への戒めとして説かれております。
さらには生物多様性という考え方も横軸のつながりの一つと考えられます。これは
命のつながりを環境問題として捉える考え方であります。
この地球上のすべての命はつながり生きています。木も草も虫も鳥も動物たちもそして微生物も無駄なものは何一つありません。
人間もその恵みの中で生かされています。地球上には確認されているだけで140万種、推定3000万種の生物がいるとされています。
それぞれの生物にはそれぞれの役割があり、互いに命のつながりがあるのです。
それは、森の葉を昆虫が食べ、その昆虫を小鳥が食べ、小鳥をワシなどが食べ、ワシが死ぬと微生物が分解し、
分解された栄養素は土にかえり森の木々を育てます。それぞれの種がバラバラに生きているように見えますが、それぞれが食べ、
食べられ途切れることなくまわり続けているのです。私たち人間を含む生きものの「いのち」と「暮らし」がそれぞれの存在によって支えられています。
多種多様な様々な生き物がそろっていてバランスのとれた状態。これこそが理想的な地球の姿といえるでしょう。しかしながら、
近年そのバランスが崩れる現象が数多く起こっており、特に絶滅の加速化が顕著です。進化の過程で絶滅する種もあり、ここ30年で絶滅した種は約4万種とも言われています。
2050年までにほぼ全てのサンゴ礁がなくなり、さらに2100年までに生物多様性の90%が失われる可能性まで指摘されているのです。特筆すべきは、そのほとんどの原因は人間である事実であります。
私たち人間はほかの生き物たちが生まれながらにして持っている共に生きるということを忘れてしまっているのではないでしょうか。
多種多様な様々な生き物のつながりのバランスが崩れることは、私達人間が生き残っていけないことを意味しています。この生物多様性を回復させることが非常に重要であり、
人間も含めて生物にとって急いで解決すべき問題であります。
近年の取り組みとしては、1992年5月に「生物多様性条約」がつくられました。2009年12月10日現在、日本を含む192ヶ国とECがこの条約に入り、
世界の生物多様性を保全するための具体的な取組が検討されています(アメリカ合衆国は未締結)。その一方で生物多様性の危機を救うため
「生物多様性の損失の速度を著しく減少させる」という「2010年目標」が策定されたものの、その目標は失敗に終わっており、課題が山積しているのが現状です。
2010年10月に名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されますが、この会議では2010年目標の失敗をうけて、
次の目標である「ポスト2010年目標」をどのような目標にするかが焦点になっています。
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「いただきます」について… |
「いただきます」とは、古来よりある言葉であり、日々生きる私たちにとってとても身近で、その分普段からあまり意味を考えることすらなく、
素通りしてしまいがちな言葉ではあります。しかし、「いただきます」の言葉の奥には、自然の恵み・命をいただくという考え方やそれまでの過程において携わった多くの人たちへの感謝、
食べられることが有難いことなのだという戒めなど、体温を感じるような温かみが隠されております。ただ普段の生活の中で「命をいただいてる」
という感覚はなかなか感じる機会がなく、ただ「食事」をしている人が大多数だと思います。語源をたどれば仏教の教えなのでしょうが、今や宗教観を超えて生活に密接しています。
「食を見直す問題提起に」宮崎では推進運動(毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊より引用)
宮崎県では近年、食事の際に「いただきます」を言うことなどを呼びかける運動が展開されています。
市町村やJAなど142団体でつくる「みやざきの食と農を考える県民会議」(安藤忠恕当時会長・当時知事)が、
農産物の恵みに感謝するのに最も分かりやすい活動として取り上げました。「いただきますからはじめよう宣言」をし、
「県民が食事の時にいただきますの言葉に乗せ、命の恵みを感謝する」などの方針を掲げております。
事務局の同県営農支援課は「子どもが朝食を抜いたり、家族全員の食事の機会が減っている中、食を見直そうという問題提起の意味もあります」と説明しており、
県内の公立小学校では給食時に「いただきます」「ごちそうさま」を唱えるようにしております。
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰しました。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙とのことです。
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介しました。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的であったらしいです。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せています。
一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もありました。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容でした。
また、申し入れを支持する手紙も数通あったといいます。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるということです。
永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介しました。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをしたそうです。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたとのことでした。
以上のことから、「いただきます」に関して人々の見解は分かれることがわかります。
1 常識的に考えて(習慣で)いただきますくらい言う人たち。
2 作ってくれた人に対する感謝する人たち。
3 自然の恩恵や殺された生き物に対して感謝する人たち。
4 作ってくれた人にも自然の恩恵にも両方感謝する人たち。
5 由来とか関係なく教育しろという人たち。
6 「いただきますは宗教」に違和感を感じる人たち。
7 各自が自由に言えばいいよと思う人たち。
8 金払ってるからどうよと思う人たち。
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