|
青年会議所は、まちづくり、ひとづくりをしようとする青年達の団体です。
その目的は、Quality of life for all people - 全ての人々の生活の向上であり、Thriving communities - 社会の繁栄、
そしてWorld peace - 世界平和であります。
社団法人深谷青年会議所は、1964年5月1日、地域の発展を願う60名余りの青年たちによって設立されました。
そもそも青年会議所は、1905年頃にアメリカ・ミズーリ州セントルイスの若い銀行員、ヘンリー・ギッセンバイヤー氏によって考えられ、
1910年、1915年と形を変えながら、小さな青年活動グループとして始まりました。
その後、その活動が認められ、アメリカの社会的活動を担う主要な青年団体へと発展していきました。
1944年には「積極的な変革を創り出すのに必要な、指導者としての力量、社会的責任、友情を培う機会を若い人々に提供することにより、地球社会の進歩発展に資すること」
を使命に、アメリカ、コスタリカ、エルサルバドル、グァテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、パナマの8カ国によって国際青年会議所(JCI)が発足。
その後、年々加盟国は増え続けています。
日本での青年会議所運動は、1949年に青年有志による東京青年商工会議所(商工会議所法制定にともない青年会議所と改名)が設立されたのが始まりです。
共に向上し合い、社会に貢献しようという理念のもとに各地に次々と青年会議所が誕生していきました。
1951年には全国的運営の総合調整機関として日本青年会議所が設けられ、その年に国際青年会議所(JCI)に加盟し、その一員として新たな活動の一歩を踏み出しています。
現在、全国に708の青年会議所があり、「明るい豊かな社会を築き上げる」ことを理想として、よりよい社会づくりをめざし、
様々な社会的課題に積極的に取り組んでいます。
青年会議所の特性として20歳から40歳までという年齢制限を設けています。これは青年会議所が、
青年の真摯な情熱を結集し社会貢献することを目的に組織された青年のための団体だからです。
会員は40歳を超えると現役を退かなくてはなりません。この年齢制限は青年会議所最大の特性であり、
常に組織を若々しく保ち、果敢な行動力の源泉となっています。
そして深谷の地では1964年の設立以来、48年間、よりよい社会づくり、深谷地域をよりよいまちにしていく……
そのような青年会議所の理念が、それぞれの時代に…たくさんの…深谷の青年たちによって、絶え間なく脈々と受け継がれてきています。
|
|
|
|
社団法人 深谷青年会議所 設立趣意書 |
|
|
現下の混乱した世情化にある我々青年の使命は非常に大なるものがあります。
我々は現在深谷新産業都市再建の一役をになっており、又、之を通して日本経済再建の指導者たらねばならぬと日夜当面しております。
又、それだけに次代将来の諸問題に対して英知と勇気と情熱を持って実行力を結集し真剣に取り組まなければならないと自覚しております。
そして我々青年に対して市民の皆様並びに国民全体の信頼と期待の目が注がれていると自負し又その責務の大なることを痛感している次第であります。
我々は単に一家族一社会、一国家等の観念にとらわれることなく、常に正眼を開き国内的に国際的に広く友人先輩と
接触しその識見を高め青年に共通な高い理想追求の前向きな情熱を確固とした世界観によって裏づけねばならないと思われます。
更に我々は、あらゆる機会を捉えて自己、社会、国家ひいては世界の改善の為に一致した活動によって何等かの貢献をなさねばならぬと思います。市内に商工業を
営む皆様、何卒深谷青年会議所設立の趣旨並びにその運営方針にご賛同の上奮ってご入会下さりその機能の発揮と活用とに全幅の御支援と御協力を賜りたくお願い申し上げます。
|
|
|
昭和39年5月1日 |
仮深谷青年会議所設立準備委員会 |
|
|
設立発起人 |
|
|
|
|
|
中野寛一 |
中島富夫 |
瀬山 賢 |
木村元一 |
新井清一 |
広瀬治男 |
新 三雄 |
大屋 猛 |
荻原正治 |
蕪木重雄 |
小林一三 |
広田喜三 |
山口雄幸 |
橋田弥寿男 |
高木徳三郎 (順不同) |
|
|
|
|
|
|
|