紡ぐ想いと歴史


紡ぐ想いと歴史

一般社団法人深谷青年会議所の設立趣意書

 
深谷JC設立趣意書
現下の混乱した世情下に我々青年の使命は、非常に大いなるものがあることを感じます。我々は現在深谷新産業都市再建の一翼を担っており、これを通して日本経済発展の指導者にならなければと、日夜研鑽を続けております。また、それだけに将来の諸問題に対し英知と勇気と情熱とを結集して実行に移すよう真剣に取り組まねばならないと自覚しております。そして我々青年に対して市民の皆様並びに国民全体の信頼と期待の目が注がれていることを自覚し、またその責務の重大さを痛感して次第であります。
我々は単に一家族、一社会、一国家等の観念に捉われることなく常に正眼を開き国内的に国際的に広く友人先輩と接触し、その識見をミめ青年に共通な高い理想追求の前向きな情熱を燃やし確固とした世界観の裏付けによって行動せねばならないと思います。
さらに我々は、あらゆる機会を捉えて、自己、社会、国家ひいては世界の改善の為に一致した活動を起こし何等かの貢献をなさねばならないと感じます。市内に商工、農業を営む皆様どうぞ次代の代表者として恥じることのない、立派な人格を築きあげ世界平和に貢献するためにも何卒深谷JC設立の趣旨に御賛同の上振るってご入会くださり、その機能の発揮と活用とに、全幅のご支援とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

1964年 深谷青年会議所設立総会 深谷商業高校で行われました。 

 1965年 認証伝達式  


1978年 深谷文化会館建設運動

当時はこんな文化会館をイメージしました。
 

文化建設運動の中で、青年会議所が中心になって
市民音楽祭を開催しました。
 



1990年代市町村合併問題に積極的に
取り組みました。


  唐沢川堤の桜の復活
グリーンプラン運動から始まり1979年瀧澤理事長の「唐沢川堤の桜の復活を!」事業で桜の植樹を行った。また唐沢掘の清掃活動を行った。
かつての唐沢堤の桜は 昭和6年河川改修を記念して250本の桜が植えられ、その後、年々増え1000本ザクラとして有名となった。昭和30年の最盛期には、幅10メートルの唐沢川で両側から伸びた枝がサクラのトンネルを作った。かつては、サーカスや見世物小屋など130万人でにぎわった。自動車の排気ガスなどの影響で、昭和40年代には立ち枯れが、目立ち、年20本ぐらい植樹したが、2~3年で枯れてしまった。昭和49年には、数本を残すまでに減ってしまった。昭和50年には、桜祭りを春祭りに名称変更するまでになってしまった。

青年会議所が中心となって植樹活動を行いました。その結果現在のような
きれいな桜並木となっています。